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ティークリッパー - 紅茶輸送が促した高速帆船の発達 -

蒸気船が一般的になる19世紀後半まで、あらゆる物資の国際輸送には帆船が用いられていました。こうした帆船による国際輸送のリーダーシップをとったのはイギリスで、大型帆船を次々と建造することで中国から大量の茶を輸入したのです。しかし、こうした状況を一新し、中国からの茶の海上輸送に新しい時代を開いたのは、アメリカで開発された高速帆船、クリッパーでした。

アメリカの独立が茶に対する課税反対運動に端を発していることからも分かるように、当時の国際交易品の中で最も価値の高かった商品は中国の茶であり、イギリス、スペイン、オランダ、オーストリアなどの西欧諸国は茶の海運にしのぎを削っていました。そのような状況の中、1783年のパリ条約によって、正式にイギリスから独立したアメリカは、早速中国との通商をスタートしました。アメリカはそのころの航路として一般的だった喜望峰回りのルートではなく、南米を経由する航路を用いて、途中のカナダで集めた毛皮を中国の茶と交換するという新しい貿易を始めたのです。アメリカが中国に持ち込んだ毛皮は大変珍重され、帰路には大量の茶を持ち帰ることに成功しました。この結果、アメリカの海運業は活況を呈し、フランス革命による諸国の争いに乗じて、ヨーロッパへの輸出においても成功しました。

こうしたアメリカの海運業の成功に対して、当初はアメリカ船の拿捕という強硬な態度を貫いていたイギリスですが、第2次米英戦争で敗北したことで、のちの1849年には航海条例までも廃止せざるを得ない事態となりました。海軍国として知られたイギリスをそこまで厳しい状況に追い詰めたのは、アメリカがクリッパーと呼ばれる高速船を開発し、中国の新茶をどの国よりも早く運ぶことができたからにほかなりません。

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